飛行機に乗って国外へ旅行しよう!(できるだけ格安で)

ここは、年に4回はタイへ出向く筆者がよく利用する格安航空会社を皆様に推薦するサイトです。まとめた情報をご覧になって是非ご活用ください!

格安航空券時代の幕開け

LCC、便利ですね〜。格安航空旅行ができる時代ですが、ここまでたどり着くまでには、世界的規模での業界体質改善が行われたのをご存知でしょうか?格安で旅行するなら、その歴史を知っておく事も良いのではないかと思い、ここにまとめてみようと思います。

IATAカルテル

1945年8月の第二次世界大戦の終結に伴い、戦勝国である連合国諸国において民間航空が再興され、また軍で使用されていたダグラスC-47(DC-3)型機やC-54(DC-4)型機、アブロ ランカストリアンやアブロ ヨークなどの大型レシプロ輸送機が格安で払い下げられたことから、アメリカや一部のヨーロッパ諸国で航空旅行が一般化してきた1940年代後半以降から1970年代に至るまで、国営のフラッグ・キャリアをはじめとするほとんどの大手航空会社(Legacy Carrier, LC)はIATAと航空会社、各国政府の間で決められた事実上のカルテル料金体系を維持しており、乗客は割高な国際航空運賃を一方的に押し付けられていた。
特にアメリカでは、1938年にフランクリン・ルーズベルト大統領が当時アメリカの「国策航空会社」的存在であったパンアメリカン航空のファン・トリップ会長のロビー活動を受けて設立したCAB(アメリカ民間航空委員会)の決定により、国際線を運航できる航空会社が限られていた上、その運賃設定もCABと航空会社が一方的に決めていたこともあり、この様な国際線のカルテル体制が他国に比べてより一層盤石なものとなっていた(なお、パンアメリカン航空は1950年代に世界初の「割引運賃」を導入したが、元々の航空運賃が非常に高価であったこともあり「格安」と呼べる様な金額設定ではなかった)。

アフィニティ・チャーター

1958年に、パンアメリカン航空が世界初の座席数が100席を超える大型ジェット旅客機であるボーイング707型機をニューヨーク-ロンドン線に導入したことを皮切りに、その後1960年代に入ると、日本航空やエールフランス航空、英国海外航空やヴァリグ・ブラジル航空などの国営や準国営を中心とした世界各国のフラッグ・キャリアがボーイング707型機やダグラスDC-8型機、コンベア880型機などの大型ジェット機を相次いで導入した。
これらの大手航空会社の急激な新鋭機の導入を受けて、それまで長年の間ヨーロッパ大陸と北アメリカ大陸間の主要な移動手段であったオーシャン・ライナー(大型客船)が完全に衰退した上に、それまで使用されていた大型レシプロ輸送機がチャーター航空会社を中心とした中小の航空会社に格安で払い下げられたこともあり、国際線の航空運賃の下落が期待された。
しかし1970年代までの間に一般旅客が格安運賃で航空機を使って国内外を移動する手段は、イギリスのモナーク航空やレイカー航空、アメリカのデンバー・ポーツ・オブ・コール航空などのチャーター航空会社が運航する、わずかにIATAによって認められていた「アフィニティ・チャーター(旅行クラブの会員など、なんらかの関連性があるメンバーのみで乗客が構成された団体ツアー向けチャーター便)」などの特殊かつ限られた手段に限られており、パンアメリカン航空や英国海外航空、サベナ航空やルフトハンザ・ドイツ航空などの大手航空会社は、このような「IATAカルテル」によって守られた割高な国際線の運賃体系と無競争状態、そして政府からの援助の下で高い収益を誇り、それを元にして現在から見れば「放漫経営」といっても過言ではない経営状況を続けていた。

座席供給過多

しかし、1970年代に入り世界各国の大手航空会社が、パンアメリカン航空のトリップ会長の肝いりで開発され、その後パンアメリカン航空や日本航空、KLMオランダ航空やユナイテッド航空などが競って導入したボーイング747型機や、マクドネル・ダグラスDC-10型機、ロッキードL1011・トライスター型機などの、これまでの国際線や国内幹線における主流機材であったボーイング707型機やダグラスDC-8型機、コンベア880型機などの倍から3倍程度(100-200席に対して300-450席)の座席数を持つワイドボディの大型機を相次いで就航させたため、これらの大型機の就航がひと段落した早くも1970年代半ばには多くの大手航空会社において座席数の供給過多が深刻化した上に、矢継ぎ早の大型機の導入による設備投資が経営を圧迫させた。
その上に、1973年10月に中東において発生した第四次中東戦争や、これを受けて同月に起きたオイルショック、さらに1978年末のイラン革命を受けて起こった第二次オイルショックを受けて世界的な長期不況に陥り旅客数が減少し、急激に収益が悪化してしまうことになる。
その結果、多くの大手航空会社は空席を埋めるために、これまで自らの身を守り続けてきた「IATAカルテル」の範囲を大きく離脱しない範囲で、自主的に割引運賃を導入せざるを得なくなった。

「格安航空会社」の発生

その様な中で、フレデリック・レイカーによる会社設立以降、長年の間アフィニティ・チャーター便を運航していたレイカー航空が、これまでの「企業本位」ともいえる不自然な状況を打破すべく、既存の大手航空会社の割引運賃を大幅に下回る格安な運賃を武器に、「スカイトレイン」のブランド名で1977年にロンドン(ガトウィック)-ニューヨーク(ニューアーク)線などの大西洋横断路線に参入した。
レイカー航空は、瞬く間に格安運賃を求める多くの利用者(その多くは大学生などの若者のバックパッカーを中心とした個人客であった)から支持を受けて、イベリア航空やアリタリア航空、サベナ・ベルギー航空などの、「IATAカルテル」の恩恵を受けて割高な国際航空運賃を維持していた既存の大手航空会社を押しのけ、1981年には大西洋横断路線において6位のシェアを獲得するに至った。
また対岸のアメリカでも、1978年にジミー・カーター政権によって施行された航空規制緩和(ディレギュレーション。新規航空会社の設立や路線開設が事実上自由化された)の影響を受けて、1981年にドナルド・バーによって設立され、同じく既存の大手航空会社の割引運賃を大幅に上回る格安な運賃を武器に大西洋横断路線やアメリカ国内線に就航したアメリカのピープル・エキスプレス航空や、それに先立つ1971年に設立され、航空規制緩和を受けて急速にその規模を拡大していたエア・フロリダが、格安航空会社のはしりとして脚光を浴びた。
しかしその後間もなく、こうした大西洋横断路線を主軸にしていた格安航空会社は、パンアメリカン航空やトランスワールド航空、ブリティッシュ・エアウェイズなどの大西洋横断路線を主要な収益源の1つとして運航していた既存の大手航空会社やIATAの意を汲んだイギリス、アメリカ両国政府の強い圧力(と妨害)、航空事故などを受け倒産してしまった。
なお、レイカー航空の倒産は、同じイギリスのリチャード・ブランソンによるヴァージンアトランティック航空設立に大きな影響を与えることとなった。

「IATAカルテル」の崩壊

しかしながら、格安な国際航空運賃を求める消費者の声は収まることがなく、このような消費者の声に答えるべく、1980年代に入るとヨーロッパやアメリカ、日本などの多くの先進国においても、キャセイパシフィック航空や大韓航空、シンガポール航空などのIATA非加盟(現在は3社とも加盟している)で、既存の航空会社の割引運賃を大きく超える格安な運賃を売り物(その上、IATA加盟航空会社でないことから、エコノミークラスにおいてアルコール類や映画用イヤホンが無償で提供された)にした航空会社の勢力が増してきた上、それらの多くがカルテル運賃に囚われない団体ツアー向けの航空券などの格安航空券を個人向け市場に流通させたために、国内線、国際線を問わず世界的規模で価格競争が進んだ。
同時期には、「IATAカルテル」が代表する、既存の大手航空会社と政府が結託した結果起きていた航空運賃の高止まりに対する批判の声も高まった上に、IATA加盟、非加盟双方の航空会社間での価格競争が進んだ結果、1980年代半ばにはIATAに加盟している既存の大手航空会社においてもカルテル運賃システムがなし崩し的に崩壊した。
これらの状況を受けて、既存の大手航空航空会社もIATA非加盟航空会社のそれと肩を並べる正規割引運賃を相次いで導入したほか、団体ツアー向けの格安航空券を旅行代理店などを通じて個人向け市場に流通させるようになり、航空会社同士の価格競争がさらに進むこととなった。

サウスウエスト航空の成功

この様な状況下で、アメリカの航空規制緩和の影響を受けてアメリカ南西部を中心に地道にその勢力を伸ばしてきたサウスウエスト航空や、1992年に合意されたEUの航空市場統合(航空自由化)後に、より安価な航空券を求める市場の声に対応して、ヨーロッパ圏内の中・近距離国際線における格安航空会社としての新たなビジネスモデルを確立したアイルランドのライアンエアーや、インターネット経由の直販というビジネスモデルを前面に押し出してコスト削減と個人旅客の取り込みに成功したイギリスのイージージェットなどの新興格安航空会社が大きな成功を収め、その無駄を省き効率を追求したビジネスモデルが世界各国で高い注目を受けた。
その後、南北アメリカやヨーロッパにおけるオープンスカイ政策の展開や、アジア(特にASEAN諸国内)における同様の政策の展開や各国における所得の向上を受けて、1990年代後半から2000年代初頭にかけて、サウスウエスト航空やライアンエアーのビジネスモデルを受け継いで、アジアやオーストラリア、中南米などでも各国の国内線や近距離国際線を運航する格安航空会社の起業が相次いだ。

格安航空会社の台頭

その後、格安航空会社の運賃に対応できなくなった既存の大手航空会社の乗客の多くがこれらの格安航空会社に流れたことや、価格競争の激化によって既存の大手航空会社のシェア及び経営状況は急激に悪化し(経営状況の悪化については、2001年9月に発生したアメリカ同時多発テロ後の国際航空旅客の一時的な減少や、2003年3月に開戦したイラク戦争以降の原油価格の高騰も影響している)、2000年代に入るとスイス航空やサベナ航空、ユナイテッド航空やヴァリグ・ブラジル航空などの、かつてのIATAカルテル下では繁栄を謳歌していた既存の大手航空会社が相次いで経営破綻、倒産し、そのうちのいくつかは姿を消すこととなった。
この様な流れを受けて、デルタ航空やユナイテッド航空、タイ国際航空やシンガポール航空、スカンジナビア航空やルフトハンザ・ドイツ航空などの既存の大手航空会社が、これらの格安航空会社のビジネスモデルを部分的に取り入れた子会社の格安航空会社を相次いで設立した他、格安チャーター便専門会社による定期運航の格安航空会社への相次ぐ業態変更や、オアシス香港航空のような長距離国際線を格安運賃で運航する格安航空会社や、シルバージェットのような長距離国際線のビジネスクラスを格安運賃で提供する格安航空会社の登場など、航空ビジネスにおいて格安航空会社の存在は重要かつ無視のできないものとなっているだけでなく、航空業界の勢力図を塗り替えるほどの大きな影響を与えている。

旅行代理店への影響

また、格安航空会社の台頭の影響を受けて、更なるコスト削減を画策した大手航空会社が格安航空会社のビジネスモデルである「インターネット経由の直販」と、更なる安価な正規割引料金を取り入れていく中で、旅行代理店経由での格安航空券の販売数が減少を続けており、「IATAカルテル」崩壊後の1980年代に世界各国に広まった「大手航空会社が団体ツアー向けの格安航空券を旅行代理店を通じて個人向け市場に流通させる」というビジネスモデルが終焉を迎えつつあるという評価も多い。
さらに、この様な状況の変化を受けて、多くの大手航空会社が旅行代理店へ支払う航空券の販売手数料の引き下げを行い、さらにいくつかの航空会社は販売手数料自体の廃止を行ったことから、格安航空券の販売手数料を収益源の1つにしていた旅行代理店の収益構造の悪化を招いただけでなく、格安航空券の販売手数料を最大の収益源にしていた中小の旅行代理店の多くが事業停止に追い込まれることとなった。

淘汰

格安航空会社の台頭は世界規模で進んだものの、2000年代後半に入り、比較的格安航空会社の歴史が古いヨーロッパやアメリカにおいて、格安航空会社同士の客の奪い合いとそれがもたらす価格競争による収益性の悪化、それに追い打ちをかける2008年に入ってからの世界的な燃料の高騰を受けて、経営破綻に陥る格安航空会社が相次ぎ、市場規模に対して増えすぎた上、その成り立ちから経営体力が比較的弱い格安航空会社は本格的な淘汰の段階に入っている。
実際に、アメリカだけでも2008年の上半期だけで、フロンティア航空とATA航空、スカイバス航空、Eos エアラインズ、マックスジェット航空と5社の格安航空会社が経営破綻に追い込まれている他、アジアやヨーロッパ諸国においてもオアシス香港航空やシルバージェット、ビバ・マカオなど、複数の航空会社が経営破綻に追い込まれた。
また上記のように、1990年代後半から2000年代にかけて既存の大手航空会社が子会社の格安航空会社を相次いで設立したものの、デルタ航空(ソング)やユナイテッド航空(Ted)、カナダ航空(エアカナダ・タンゴ)、ブリティッシュ・エアウェイズ(buzz)、ニュージーランド航空(フリーダムエア)をはじめとして、親会社の顧客を奪ったり、価格競争に巻き込まれた揚句に事業閉鎖や業態変更などに追い込まれ失敗に終わっている例も少なくない。